こんにちは。松田工務店の猪島です。本日は「数寄屋建築」についてご紹介いたします。
数寄屋建築とは
数寄屋というと、「侘び寂び」や「質素倹約」をイメージされる方が多いと思います。
以前はすぐそばにある裏山の変木などを自由に建物に使い、遊び心いっぱいで楽しんだ建築様式でした。
また、分かりやすくいうと「寝殿造り、武家屋敷」と「町屋造り、民家」などが書道でいうところの「楷書、行書」に例えられ、
「数寄屋造り」は「草書」に例えられる様に、自由で趣のあるままの形と言われています。
数寄屋造りの代表格と言えば「桂離宮」が有名ですが、こちらは京都にある皇族の別荘です。
四季折々の景観を楽しむことが出来る茶室が5つあり、それぞれ季節によって見える景色が違うそうです。
現在は宮内庁の管轄ですので、ご見学は宮内庁HPから予約することが出来ます。
近代における「和」
日本編
そもそも、近代における「和」というものはどういったものを指すのでしょうか。
それは明治期まで遡ります。江戸期に在来建築を担っていた大工棟梁達は明治期になって自由な活躍の場が与えられるようになりました。
そこで彼らは擬洋風建築を始めることとしました。
いわば当時の大工さんたちの技術力と想像力の賜物ともいえます。
明治10年代半ば(1880)ごろより、「洋」に対する「和」が強く意識され始めました。
これに建築家として応えたのが長野宇平治(ながの・うへいじ)と言われています。その代表的な作品は「奈良県庁舎」です。
やがて昭和に入り、さらに建築家たちは和を意識した作品を世に発表します。昭和3年(1928)藤井厚二は「聴竹居」を建築します。
こちらは5回目の自邸として建てられ、数寄屋造りをベースにしていると言われています。
この頃にはいす式の新しい生活スタイルが意識され始め、内装も板張りが多く見られます。
さらにこちらは自然の中に建てられており、なるべく機械設備に頼らないという「パッシブハウス」の先駆けとされています。
写真引用:聴竹居|藤井厚二 (chochikukyo.com)
海外編
実は海外でも和を意識した作品が建てられています。
同じ時期に近代建築の三大巨匠ともいわれるフランク・ロイド・ライトの日本における活躍が見られるようになりました。
彼のカウフマン邸(落水荘)は日本の数寄屋や旧大名庭園に刺激を受けたという説や、浮世絵からイメージされたという説があります。
こうして、戦後(昭和20年)以降「和」の建築は「洋」を経て近代建築の一翼を担うことが出来るようになりました。
一部の大工棟梁たちが在来の工法を守り育て、また、洋の建築を学ぶことによって
懐古的な時代遅れの産物にならずに現代に和の建築をもたらしてくれたのです。
こうして日本の伝統が近代へとつながり、数寄屋建築が現代でも建てられているのです。
(参考資料:「近代の茶室と数寄屋」 桐浴邦夫著)
松田の数寄屋
松田工務店の数寄屋造り
さて、弊社でも数寄屋建築を取り扱っております。
素材そのものの良さを生かす加工や、部屋に陰翳をもたらす深い庇、木目の美しい杉丸太の仕様などがよく見られます。
そして、いずれも日本独自の簡素伸びや侘び寂び、陰翳礼讃といった感性がたどり着いた形が数寄屋造りです。
当社の原点ともいえます。
松田の数寄屋
そして、松田工務店の原点たる数寄屋造りをリーズナブルかつモダンに再解釈したコンセプトが「松田の数寄屋」です。
本来の数寄屋造りの簡素と自由を現代に暮らしに合うように解釈し直し、
1番の障害であった費用を抑えつつ形としました。
松田工務店では「数寄屋造り」や「松田の数寄屋」でお家を建築することができます。
ご興味がございましたらぜひご来場お待ちしております。
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株式会社 松田工務店
猪島 沙帆 (いのしま さほ)
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